昭和30年代

更新日:2021年10月21日

昭和30年代

合併祝賀式の写真

合併祝賀式(昭和31年)

昭和28年に公布された市町村合併促進法によって、昭和30年前後に日本各地で新しい市町村が次々に生まれていきました。

煤ヶ谷村と宮ヶ瀬村の間でも、昭和29年頃から合併に向けた話し合いが行われ、昭和31年9月30日に新生清川村が誕生しました。

それまでの煤ヶ谷村と宮ヶ瀬村は、明治22年の町村制施行から隣村として、互いに助け合い連携を強めてきていましたが、67年の歳月を経て、両村はひとつになることができたのです。

盆踊りの風景の写真

盆踊りの風景

村民会館完成の写真

村民会館完成(昭和35年)

新しい村名となった「清川」の由縁は、「山に生きるこの村は、ますます山林の緑化に努め、水源をかん養し、もって中津川、小鮎川の自然の清らかさをとこしえに保ち、人情をしてこの川のごとき、おおらかさを培い、かつ水のごとくやまざる意気をもって文化産業を振興する」という理想像からきています。

合併時の人口は、3,158人で戸数は594戸でした。9月30日には、記念式典も盛大に行われ、多くの人が新しい村の門出を祝いました。また、合併を機に煤ヶ谷小学校は緑小学校に、煤ヶ谷中学校は緑中学校に変更されました。

合併した翌年昭和32年には、清川村役場庁舎の建設も開始され、昭和36年には煤ヶ谷診療所が発足、昭和39年には簡易水道事業が開始されるなど、新しい村づくりの基礎整備が着々と進んでいきました。

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