古代・中世

更新日:2021年10月21日

古代・中世

縄文時代土器の写真

縄文時代に入ると人々は住居を構え、一つの地域に定着し始め、集落が形成されていきます。弥生時代になって農耕文化が芽生えていくと集落は発展し、村のような形態がつくられ、やがて支配力をもった統治者が出現してきます。

宮ヶ瀬地区の古代の人々の暮らしは、宮ヶ瀬遺跡の発掘によって調査が進められてきました。この宮ヶ瀬遺跡の一部であるナラザス遺跡からは旧石器時代の出土品も発見されています。また、縄文時代後期のものと考えられる敷石住居も発掘されているほか、平安時代から江戸時代までの人々の暮らしがしのばれる遺跡が見つかっています。

宮ヶ瀬遺跡遠景の写真

宮ヶ瀬遺跡遠景

煤ヶ谷地区で統治者として最初に名が知られるようになったのは、毛利太郎景行で、12世紀初頭に屋敷を構え、民政や開発にあたりました。また、中世の煤ヶ谷地区は、渓谷の多いことから小谷入郷と呼ばれており、後の豊臣秀吉の制札の中にも登場しています。

一方、宮ヶ瀬地区は、古くは宮河瀬と記され、北条家臣団内の井上氏各家の同族とみられる井上氏によって開かれたといわれています。また、宮ヶ瀬地区の開村伝承では、矢口入道信吉が落人となってこの地に土着し、開発した村だと伝えられています。

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