中世・近世

更新日:2021年10月21日

中世・近世

中世から近世にかけて、現在の主要な神社や寺院が創建されています。

伝秋月、達磨の写真

伝秋月 達磨画像
(正住寺)

煤ヶ谷地区南部にある八幡神社は治承年間(1177〜1181)の創建といわれ、領主の毛利太郎景行が自邸の近くに勧請(かんじょう)したものです。祭神には応神天皇が祭られ、古くから村人の崇拝を集め、明治時代には村社となっています。
天授元年(1380)に建立した正住寺は最も古い寺院です。
宮ヶ瀬湖水の郷交流館には県重要文化財である鰐口(わにぐち)があります。この鰐口は紀州熊野三處権現を当地勧請して宮ヶ瀬の奥野熊野権現(今はありません)神社のご神体として、祀(まつ)られたものといわれています。鰐口には応永3年(1396)と刻まれ、当時信仰の厚さがしのばれます。

乗鞍の写真

乗鞍
(花蔵院)

鰐口の写真

鰐口
(宮ヶ瀬湖水の郷交流館)

花蔵院も煤ヶ谷地区南部にある古い寺院で、かつては西の大塚戸にありましたが、火災によって現在の地に移りました。創建は、文亀2年(1502)と伝えられ、寛順法師によって開基されました。
この花蔵院には3体の仏像があり、そのうちの大日如来と十一面観世音菩薩は、村指定の文化財となっています。

大日如来坐像の写真

大日如来坐像
(花蔵院)

十一面観世音菩薩立像

十一面観世音菩薩立像
(花蔵院)

このほか、明暦元年(1655)に熊野神社、寛文6年(1666)には蓮久寺が建立されており、当時の人々の信仰心の厚さが感じられます。
江戸時代に入ると所領替えが繰り返された後、東丹沢地方一帯は幕府の直轄領となります。
 中世から近世の村人の暮らしは、山の恵みによってもたらされていました。木材のほとんどは、筏(いかだ)を組んで周辺の川から中津川へ流されました。また、炭の生産も盛んに行われ、馬で伊勢原や厚木などの宿場町に送られました。
この時代をしのぶものとして、当時つくられた石塔が現在も数多く残っています。馬頭観音、道祖神、供養塔などさまざまな種類の石像などがありますが、中でも大野地区にある六十六部廻国供養塔は大山詣での道標として建てられ由緒あるものとして知られています。

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